こんにちは、フルタニです!
今日は、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』という本をご紹介します。タイトルからして哲学っぽいですよね。僕も最初は「暇と退屈?どういうこと?」と思ったんですが、読んでみるとこれが意外にも面白い!「暇」と「退屈」をここまで深く掘り下げた本があるなんて驚きでした。
ただ、正直なところ、全部を理解するのはめちゃくちゃ難しい(笑)。でも、國分さんの言うように、「自分で考えながら読むこと」が楽しいんですよね。それでは、この本のポイントをざっくりと解説していきます!
「 暇と退屈の倫理学 」を読んでみた感想!
暇と退屈とは何か?國分さんの分類
國分さんは「退屈」を3つの形式に分けています。これが非常に興味深いんです。
1. 第一形式:暇があり、退屈している状態
例えば、何もすることがなくてボーッとしている時間。仕事が終わって「さぁ何をしよう?」となる瞬間がこれですね。
2. 第二形式:暇がないけど退屈している状態
これ、現代人にとってめちゃくちゃ身近じゃないですか?仕事や家事で忙しいのに、なんとなく「これでいいのかな」と感じるあの感覚。國分さんいわく、この形式こそが人間らしい退屈だそうです。
3. 第三形式:なんとなく退屈している状態
これは「特に理由もないけど退屈だなー」って感じ。SNSを見たり、動画をだらだら観たりしているときがこれに近いかもしれません。
退屈を楽しむ処方箋
この本のすごいところは、退屈を「悪いもの」として排除しようとしないことです。むしろ、退屈とうまく向き合い、それを楽しむことが提案されています。
國分さんが挙げるヒントの中で特に印象的だったのが次のポイント:
1. 「人間であること」を楽しむ
退屈を感じるのは人間特有の感覚です。だからこそ、退屈を「自分が人間である証」として受け入れるべきだと國分さんは言います。ちょっと哲学的ですが、退屈な時間も大事にしようというメッセージですね。
2. 「動物になること」を待ち構える
國分さんは、退屈があるからこそ動物的な楽しみ(美味しい食事や運動)を心から楽しめると言います。退屈があるからこそ、楽しみが際立つ。これには納得しました!
3. 贅沢を取り入れる
國分さんは、退屈に対処するためには「贅沢」が必要だと言います。ここでいう贅沢は、ただのお金の浪費ではなく、自分を満たしてくれる特別な体験や時間のこと。これは退屈を乗り越えるためのエネルギーになります。
人類史と退屈:哲学・心理学・近代史からの考察
『暇と退屈の倫理学』が面白いのは、哲学だけでなく、心理学や近代史、さらには人類史にまで話が広がるところです。「退屈」というシンプルなテーマが、こんなにも多角的に論じられるなんて驚きました。
たとえば、哲学的には「暇」と「退屈」が人間にとってどういう意味を持つのかを考察しています。また、近代史では産業革命以降の忙しさと退屈の関係に触れています。働いてばかりいる現代人が抱える「暇のなさと退屈」は、実は時代の産物なんだとか。
結論:退屈と向き合う楽しさ
國分さんが『暇と退屈の倫理学』の最後に述べているように、この本を読む楽しさは「自分で考える」ことにあります。僕も全部を理解したわけじゃないですが、考えながら読み進めることで、退屈や暇についての新しい見方を得られました。
「退屈」をただのネガティブな感情と捉えず、自分を成長させるチャンスと考える。本書を通じて、そんな新しい視点を得られるかもしれませんよ!